2012年1月25日 (水)

いやだいやだ


息子1歳7ヶ月。
いやいや期らしきものがすこしずつ始まってきた様子。
気に入らないことがあると、こんな風に床に突っ伏して泣きまねをする。
なんていう頭の使い方を学んでしまったのだ。
誰の真似なんだ。


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でまぁ、そんなに余分な気力体力があるのなら、もう少し違う使い道はないものかと模索し始めたのが、去年の秋のこと。
初心者母さんは、とりあえずグレン・ドーマンの本を4冊読んで、ドッツなるものを始めてみました。

はじめたばっかりだから、まだ感想なんてないんだけど、始めるにあたって、また始めてからの私の考え方を記録しておこうと思います。

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早期教育や、英才教育にとても興味がある・・・とは全然言えない。
ただ、「知識を増やすことは楽しいことだ」という基本姿勢を持って欲しいとは思うのです。
そのために、親が、親にしか出来ないことを、今しか出来ないことを、するのには、ためらいはありません。

今しかできない、と判断したから、始めました。
親の人生の反省を活かすために子供が存在するわけではない、そんなことはわかってる。
それでも、「あそこで苦労しなければ、もっともっと楽しさに満ちた世界だっただろうに」と思うポイントは、
息子の人生においては改善したいと思うのです。

生まれたての、虫みたいな状態のイキモノを、人間の形(外側も中身も)にするのが
親の存在価値なのではないでしょうか。
その壮大で気の遠くなるような積み重ねの毎日には、
ある程度の指針というか、ガイドライン的なものがあって当然だと思います。
私は、息子に、健康な体と健康な好奇心を持った人間になって欲しい。
世の中に「知ることの出来る事柄」は無限にある(と思う)のだから
知ることを楽しいと感じる習慣くらいはつけてあげられたらいいなぁーって思います。


詰め込むだけの知識は、子供を締め付けるだけだ とか
子供はやりたくないかもしれないのに、やらせるのは親のエゴだ とか
親の思うとおりに子供を作り変えようとするなんて自己満足だ とか
そんなくだらない・低次元なことを言いたい人は、言えばいいと思います。

でまぁ何を始めたかというと、
「数は量である」ということを【数字という記号の概念を頭に入れてしまう前に】体得して欲しかったので、ドッツを。
それから、(天才的な例外はあるけれども一般的には)知識のないところに知性は育たないと思うので、最近ではビッツを、始めました。
結果?そんなもの、息子が大人になるまでわかりません。
でも今は、「ドッツやる?」「やんなーい」「ビッツやる?」「やる!」という程度には会話が成り立つようになったので、親子で楽しく遊んでいます。


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2011年12月12日 (月)

方向転換

転職活動を、しています。
そろそろ、この1~2週間で、今受けている会社の結果が出そうです。

正直なところ、今の仕事に対する未練は大いにある。
仕事の内容としては、ずーっとずっと続けていきたかった。
でも、まぁ、自分の一日は24時間しかないわけだし、
一週間は7日間と決まっているんだから、
優先順位をつけないわけにはいかないのです。

受かるかわかんないけどさっ。
最終選考の倍率は、4倍~5倍だそうです。

それでも、私が受かる可能性は、1/4~1/5ではなくて
あくまで 受かるか受からないかのどちらか、1/2なのですね。


受かったら、人生ちょっと変わります。
期待して待つ。

母ちゃん、がんばるよ(もう試験は全部終わっちゃったけどさ)

2011年12月 8日 (木)

あいた穴と同じ大きさのもの

「枯れ果てた涙」と題されたこの記事。
http://diamond.jp/articles/-/15205

お母さん、の多い私のtwitterのTLでは、「生き残った子供に『再婚してお前に弟が生まれたら』という気持ちがわからない」という意見があったのだけど。


大前提は、私にはこんなすさまじい被害にあった人の気持ちは絶対にわからないだろうということ。

その上で、思うこと。

なくしたものと同じような役割の、同じような大きさのものを切実に求める気持ちって、あるんじゃないかなぁ。
おそらく想像を絶するような凄惨なものを、このお父さんも、この息子さんも、見たんだろう。
いなくなったものを悼む気持ちは、まだ追いつかないのかもしれない。
でも、奥さん、お母さん、息子、弟が戻ってこないことだけは、納得できなくても信じざるを得ないんだろうと思う。
父子二人で踏ん張って踏ん張って頑張っているからこそ、新しい奥さん、新しいお母さんを求めているんじゃないだろうか。

私は、このお父さんが「新しい女房を探してくれよ!」と(子供の前で)言うことに違和感を感じない。
この息子さんだって、暖かくて生きている柔らかい【おかあさん】に抱きしめられたいんじゃないかって思うから。

2011年11月 2日 (水)

小さなさよならを積み重ねて

実際にやってみるまではわからなかった事って沢山ある。
私なんて特に、浅はかで短慮な人間ですから、そりゃあもう。
何もかも「やってみなければわからなかったなぁホント」って思うことばかり。

『子供なんて、別に、絶対に欲しいなんて思っていないもん』と言っていた私が、
『産んでみるまでこんなに可愛いと思ってなかったよー!』と息子にメロメロになっている様を見て
いまだに母は「産んでみて良かったよね、産まなきゃわからなかったんだもんね」と私をからかう。

いや、これはね、お母さんが私に
「結婚したのも遅いし、どんどん年齢が上がっていくんだから早く子供を」と
あんまりにもうるさく何回も何回も言ってきていたからなんだよねぇ。
それにさ、産む前に、この可愛さを想像することは
私じゃなくても無理だと思うんだよ。
まぁそれでも、私は特に本当に「実際にやってみるまでわかんないよね」という傾向が強いので
子供が欲しいと切望できる人の想像力がうらやましいし、
まだ来ないイツカのナニカを心から恐れる人から見たら、のんきであほなんだろうと思います。

母親になるということは、毎日毎日が発見の連続で。
同じ日というのは二度とない、ということを、自分の体で実感する。
自分の息子が、どうやら車に興味があるらしい、ということがわかった日。
あれはね、ぶーぶー、っていうんだよ、と教えた日。
うーう、ぶー、ぶー、うう、ぶぶ、ぶーぶ、と自主練している日。
そして、外を走る車を見て、ある日突然、「ぶうぶ!」と指をさす日が来る。
そんなことが連続して、平行して、毎日起こるのが子育て。

そうね
「母親になるということは、毎日毎日が発見の連続」
というのには語弊があるし、思い上がっている表現だわね。
正しくは「子育てをしていると、毎日が発見の連続」です。


初めて母乳で体重が増えた日。
ぼおっと目を開いているだけだった、赤ちゃんの日々。
焦点が合うようになってきて、私の顔を見て笑った日。
寝返りした日。
たったひとさじのお粥(重湯)をはじめて食べた日。
ずりばいで、ボールに自分から手を伸ばした日。
二人だけでバスに乗って、ほんのすぐ近所の妹の家に行った日。
一人でお座りできた日。
泣き声以外の声が出た日。
はいはいが出来た日。
保育所の入所日。
一人で立てた日。
コップから水が飲めた日。
スプーンを使えた日。
ベビーカーでお出かけした日。
ママ、と口にした日。
指差しが出来た日。
色んな言葉を初めて言えた日。
 ママ、パパ、ばいばい、ぶうぶ、め、くち、みみ、はな、みんみ、ぱいぱい、あい(あし)、て、じゃー、んしゃ(でんしゃ)、はい、おはよー、ありがと、ねんね、あめ、ちっち、でた、あっこ(だっこ)、まんま、じーじ、わんわん、にゃーにゃ、じーた(リーちゃん)。
初めてトイレでウンチが出来た日。

そして、さいきんでは、
初めておっぱいなしで一晩過ごせた日、
初めておっぱいなしで一日過ごした日、
初めておっぱいなしで二日過ごした日、
・・・以下続く(笑) があって、
一年続いた夜泣きが収まった夜、
というのもごく最近体験した。


その全てが、息子の成長をあらわす貴重な一瞬(一日)で、
それはもう、輝かしくうれしい、母として喜びに満ちた一瞬(一日)であることは間違いない。
なんて幸せなんだろう、と、全ての瞬間に感じる。


でも。
子育てって、後戻りはないんだよね。
もう、「まま」しか言えなかったあの赤ちゃんは、もういない。

断乳、というものを最近経験して。
もう、私の母乳を飲むあの赤ちゃんはいないんだ・・・ということが
こんなにも切なく哀しいものだとは想像していなかったのです、私。

一歩一歩、着実に人間らしくなっていく息子の成長は、
いつも「一瞬前の赤ちゃんだった息子」とのお別れとセットなのよね。
もっともっと、単純に成長を喜べるものだと思っていました、私。
浅はかでした、私。

素直に言うと、めきめきとコドモになっていく息子の成長が
うれしいのと同じ大きさ(ってことは結構なボリュームだよね)で、
寂しいです、切ない、悲しいよう!なのです。

発見の連続なのは、子育てをしている人なら性別問わず・・・かもしれないけど
このさみしさは、やはり母親だからこそなのではないかなぁと思います。
腹を痛めた子、という表現は出産を経てもいまひとつピンと来ていなかったんだけど
今は少しだけ分かる気がしてきた。
この子は私が産んだ、私の子供だ、という誇り。
戻りたくはないんだけど、あの瞬間、
自分の体と息子の体が二つになった瞬間から
全てのさよならが始まっていたんだね。
『母は強し』と言われて当然のような気がしてくる。
うれしさの分のさみしさを味わわなきゃいけないんだもん。
なんてボリューミー。


うれしはずかし・・・じゃないや
うれしさみし、の母心。

子供の成長って、もっともっとただただうれしいものだと想像してた。
うわあ!って、ニコニコしちゃうだけのものかと思ってた。

ぜんぜん違った。
成長を大喜びしながら、こんなに切なく胸が締め付けられるものだなんて。
誰も教えてくれなかった。
全然、想像と違う。


だってさ、息子を持つ母としてのゴールは
「モテル男になって、いい奥さんといい家庭をつくってもらうこと」なんだもの。
母に背を向けて、一人で歩いていってもらうことがゴールなんだもの。
なんて、うれし、さみし。

2011年10月 4日 (火)

秋が来た。金木犀の香る季節です。

今年は、9月30日に金木犀の香りをかぎました。
私の住んでいる住宅地、庭木に金木犀がとっても多い。
住宅地中が金木犀の香りに包まれている。
上空から見たら、金色のもやが掛かっているのではなかろうか。

あーもう毎年毎年!と自分で(若干)イラッとしたりするので  笑
「金木犀の匂いをかいだ」というブログ
もう書かないぞ・・・と思っていたりしたんだけど。
私の金木犀への愛と、それにまつわる思い出は
やはり毎年同じように私を襲ってくるのです。


大人になって、親になって
子供の頃の思い出を振り返ると
日々の風景や、季節の色・香りから引き出されてくる思い出が沢山あること、
それらがそれぞれ暖かくていい思い出につながっていることに気が付く。
秋や冬の思い出でも、それらが冷たく寒い思い出ではないことに、改めて感謝する。

おととしは、ツワリのせいもあってか、なんとなくぼんやりした秋を過ごしていて、
12月1日に「あ、冬だ」と気が付いて、急に世界がビビッドになったんだった。

去年は、毎日毎日、くにゃくにゃしている息子と一緒に家にいたな。
その日その日を楽しむことだけで過ぎていってしまった季節。
今となっては育児日記を読まなければ、ほとんど思い出せない。
あーあ、もったいないことした。

そして今年。
仕事も家事も育児もあるけれど、数年ぶりに秋を味わっているような気がします。

大してすきでもない焼き芋が懐かしく感じられたり、
夕日のまぶしさをうっとおしく思いながら、その暖かさを惜しんでいたり
なにがなし、やさしい気持ちになれる季節。秋。

今年は、繋ぎながら歩ける、小さな手がある。
それがとってもうれしい。

小さな手は、いつも大体暖かくて、湿っているから
少し風の冷たい日にはその湿度のせいですぐに冷たくなってしまう。
やわらかくて丸いほっぺたは、あんまりにも柔らかいから
強い風が吹くと、赤く乾燥して粉をふいてしまう。
そしてついこの間までは、座り込むと熱ささえ感じたアスファルトが
今はもうびっくりするくらいに冷たい。

何メートルか進んでは、葉っぱや石や靴、マンホール、トラック、犬に釘付けになってしまう
息子の手を引いたり抱き起こしたりしながら、少しずつ歩いていくと
案外遠くまで散歩してしまったりします。
さっきまでオレンジ色に染まっていた風景が、あっという間に墨色になっていて
ぎょっとすることが多々あります。

それでも繋ぐ手があれば、暖かい気持ちになる。
門灯を付けてきてよかったね、お風呂に入ろうね
今日のご飯はサンマだよ、
そんなことを一方的に話しながら帰路につく。


そんな秋を過ごしています。
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2011年9月28日 (水)

秋です

「秋だ」というはっきりした認識をしたのは、
今年は9月上旬でした。

あー大好きな季節が来た来た。
夏も好きだけどね。

空気がいい匂いですこと。

秋の好きなところを挙げます。
・空気の匂い
・空が高いこと
・一日に何回もシャワーを浴びなくても肌がさらっとしていること
・虫の声がきれいなこと
・日焼け止めを塗らなくても罪悪感がないこと
・稲の刈り取りが終わるので、青鷺を見られること
・夕方の風情があること
・寒くないこと
・食べ物が美味しいこと
・風がやさしくていい匂いがするところ
・いろんな思い出が甘く切なく、過去のこととして懐かしく思い出せること

テツオ

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最近息子がテツオです。
鉄男。
電車に釘付け。
男児の遺伝子の中にはデフォルトで「車・電車大好き」の血が組み込まれているに違いない。

大きな道路の脇で、あるいは線路の脇で、工事現場のそばで、
こうやって電車や車を見させておけば、当分は静かにしていてくれる。

かわいいんだけれど、そろそろ付いていけなくなっている母です。


1歳3ヵ月。
・たまにトイレでちっちやうんちができるようになりました。
・「みみ」両手で耳たぶを引っ張って「みみ」と言います。
・ちょちちょちちょち、おつむてんてん、ひじぼんぼん・・・・ができるようになりました。
・「位置について!よーい、ドン!」が大好き。
・とにかく外にいるのがすき。
・夜泣きは相変わらずおさまりません。大体毎日、3時頃から1~2時間泣きます。
・スプーンとフォークが大分上達しました。
・コップから水分を飲めるようになりました。
・牛乳が飲めるようになりました(でもまだ母乳も大好き)
・夜間断乳は、がんばり続けています(私が)
・「て」「め」「あし」は言えるし理解しています。
・ここに座りたい、という意思表示は、そこを指差して「ねんね」と言います。
・ぱわわっぷ体操が好き。
・秋刀魚の梅干煮、大好き。
・鶏の皮も食べられる。
・ルンバが恋人。
・靴のことを「あい」と言います。
・葉っぱ、が好き。
・先日、バスと電車を乗り継いで、抱っこ紐なしベビーカーなしのお出かけに成功。

2011年9月 9日 (金)

asacoさんの言葉。


ママから離れてどんどん歩いていく子は、
離れてもママはちゃんと見ててくれることを知っているから。

ママにべったりで離れない子は、
いつか旅立つ日のことを知っていて、
ぴったりくっついていられる今を大切にしているから。

2011年9月 2日 (金)

ハーネスについて。

あんよが上手にできるようになって来た子供の、急な飛び出しを防止するために、
「子供用ハーネス」というものがございます。
犬の散歩紐、の子供用と考えれば、あながち遠くはない。

あれ、私、キライだった。
犬みたい。
人間の子供なのに、犬みたい。
そう思ってた。

へいすみません本当に。
何もわかっちゃいないのに偉そうに、どの口がそんなことを言っていたのだ!(はいこの口です)


ええ本日、Amazonでポチりましたよ。本当にすみません。

犬みたい?
子供なのに綱を引かれてかわいそう?

そう言いたければ言うがいいさ。
(過去の自分へ向かっての言葉です)


この子の命は一個しかないし、それを守るありとあらゆる手立てを講じるのが、私の仕事だもの。

ほんの一瞬の隙をついての子供の行動。
それを100%防ぐことなんて出来ない。
親になった今、つくづくそう感じます。
例えばスーパーで会計中、例えば荷物と子供を抱えての移動中、例えば何か物音がしたとき、一瞬でも子供から注意をそらさない自信なんて私にはない。
例えば子供が急に暴れたり手を振りほどいたり、そんなことを完全に防ぐ自信もない。
車や通行人、もっといやなことを考えるなら、悪意をもって子供に近付く人から子供を守らなきゃならないんだもん。

だから、抵抗のあったハーネス、買いました。
子供って本当に好奇心の塊だよね。
アスファルトも土もマンホールも、生垣のツツジもカエルも蝉の抜け殻も、タバコの吸い殻も落ち葉も花も、影も雨も空も電柱も、自分の靴さえも、みんな目新しいんだもんね。
その好奇心を押さえつけたくない。
フレッシュでエネルギッシュで、でもまだまだ小さな命だから、私がおかーさんになったからこそのお買い物。

ハーネス早く届かないかな。

2011年8月27日 (土)

はじめての入院

息子が、初めての入院。
RSウィルスですってよ。

今週の初めから熱が出て、
水曜日の夕方にもまだ熱があって
でも私、なんとなく「そんなものだよね、子供って」と思ってたりして。
全然のんきでした。


なかなか熱が下がらないので、
あんまり休みが続くのもねー、と思って病児保育の登録をしに行った。
その付属の小児科(というか病児保育園が、小児科の付属なわけだけど)の先生に
「お母さん、熱が続きすぎてるよ。病児保育どころじゃないかもよ」
と言われて、それでもまだへぇぇぇぇ・・・と思ってた。


RSウィルスって、重症化すると怖い病気。
私は、新米のくせにたかをくくって
自分の子は大丈夫って思ってた。

こんな抜けてるママなのに、
今回はたまたま運に救われて、軽度の細気管支炎で入院になって
大事には至らなかったから、本当によかった。

もう少し、息子のことに神経質にならなくてはね。

久しぶりの入院の付き添い。
おじいちゃんの入院の付き添い以来。
今回は、狭いベッドで息子と寄り添って
息子が眠っているほんのわずかな時間にトイレに行くのがやっと。
なかなか大変だけど、これも今しか出来ない母親業のうちのひとつ。
これで有休使い切っちゃうかなぁ。
でもそれも、きっと今しか出来ないことの一つ。

まずは息子が元気にお家に帰る日が
一日も早く訪れますように。

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