2012年5月24日 (木)

ともだち

息子に、ともだちが出来た。
ゆうくん。

保育所へ通い始めて1年1ヶ月、もちろん同じクラスのお友達の顔と名前は覚えていたし、毎日一緒に遊んできたし、たまにスーパーなんかで会えば遠くからでも呼びかけたりはしていたんだけど。

それでも、ゆうくんは、息子の始めてのともだちだと思う。


家に帰っても「ゆうくんのうた」とせがんで、『ぶらんこゆれて』の替え歌を延々と歌わされる。
自分の名前のところと、ゆうくんの名前のところで、うれしそうに笑う。
                      なんて可愛いんだろう(親ばか)
ゆうくんはまだほとんどしゃべることができないのに、家で息子の名前を呼ぶらしい。うれしいね。

顔を合わせて、波長が合うなって感じて、また会ってそれを確かめて。
相手がいないところでも相手のことを思い出して楽しい気持ちになって、また次に会うのを楽しみに思えて。

ママは、「友達を作る過程」を息子を通して改めて知った。


ところで、息子に「ゆうくんが好きなのね?」って聞くと「うん!ほっぺ!」という答えが返って来る。
ほっぺたを両手でつかんで、鼻と鼻をくっつけるという息子なりの愛情表現をしまくっているらしい。
(っていうか鼻と鼻って・・・夫のおかしな癖が移ったよ。変なこと教えないで欲しいもんだ)
しかし先日息子から衝撃の報告。
「ゆうくん、ほっぺいい?『やだ』って!『○○(息子)、やだ!』って」
なにちょっとフラれちゃったのあなた!笑
しつこくすると嫌がられる、ということも教えていかねば。


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私が私のおともだちからもらったグラス。
ちょっと肌寒い夜には日本酒を入れて、おひとりさま時間を楽しんでいます。
ありがとう。






 ぶらんこゆれて おそらもゆれる ゆらゆらゆらりん きのえだゆれて
 はやちゃんもゆれる ゆらゆらゆらりん ゆらゆらゆらりん

 なかよしこよし げんきなぼくら なかよくこげば なかよくゆれる
 ゆうくんもゆれる ゆらゆらゆらりん ゆらゆらゆらりん


2012年5月16日 (水)

男子、厨房へ。

私が子育てしてる上での教育目標は。

モテる男に。

これだけといっても過言ではない。

お勉強も、スポーツも、趣味も、特技も、
場合によってはやや偏った好みや癖だって。
人間的な魅力にならなければ何の意味もないのだ。
泣き虫でもいいし、ハンサムじゃなくたって、背が高くなくたっていいのだ。
オトコは、スペックだけじゃないのだ。


そんなわけで、とにもかくにも、息子には色んな経験を沢山して欲しいと思うのです。
人間、バランスなのです。


まぁそんなことはおいといて、
私がご飯の支度をしている時間に足元にまとわりついてきて


ママー ママー ママー はやちゃんのママー!
ママーあっちいこー ママーこっちだめよー ママーでんしゃしよースペーシアーカシオペアーでんしゃしよー
ママーだっこー だっこーだっこーだっこよぅぅぅぅぅ
ママーあっちいこー せんろー ママー バナナたべるぅぅ バナナ!ばなな!ママ!ママいるのー?ママー
ママーパンちょうだいな パン!パン!
ママーパンとニュウニュウ(牛乳)ちょうだいな!ママーママーにゅうにゅうのむ!
ママーだっこーママーはやちゃんのママー
ママー・・・

と延々叫び続ける息子とどうにか楽しい時間を過ごしたいという願いから、エプロンを作りました。
・・・前置き長すぎる。


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ノリやすい息子は、ノリノリでキッチンに立ってます。
料理男子へ一歩前進。
しかし息子よ、薀蓄は語っちゃだめよ、さりげなくね!

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つまみぐい専門シェフ。


2012年4月27日 (金)

オトコからの視線

というものを久しく意識せずに暮らしてきましたが。


18年後にはイケメンになるはずの、我が家の男児が最近
「ママかわいい」という言葉を覚えまして。
   ほらそこ、私が無理やり教えたとか疑ってるでしょ!うんもちろんそうなんだけどね!

ママ、俄然   可愛くなりたい!   とやる気を出しまして。
ここしばらくストレートボブだったんだけど、パーマ掛けました。
そしたらJD妹に前髪プロディースをされて、ちょっと女子っぽくなり、
その(キラキラピン留めの)髪の毛を見て息子が「かーいー♪」なんて言うもんだから、
ますます調子に乗っている今日この頃なわけです。
はるだから、会社に行くときもワンピース率を高めにしております。

パーマヘアは職場でもまぁまぁ好評で、お客様にも「雰囲気がやわらかくなったね」と言われていい気分なんだけど、夫からも「その髪型は成功」「優しく見える」と結構高評価です。


そしてそして、なんと、夫との争いごとが減りました。
というか、なくなりました。
なんだこれはすごい変化。
夫いわく「今までと同じことを言われても、不思議と腹が立たない」。と。

ああ、見た目って大事。
ぱっつんボブ、自分でも似合ってたと思うし、周囲からもそういわれてた。
でも、優しい感じには見えない。
きりっと、とか、しっかり、とか、きちんと、とか。
そういう感じ。

20代の頃は、きりっとしっかりした感じに見えたかった。
プライベートでどうこう、というよりも、仕事の方を向いてる20代だったから、
きっちりかっちり、見えたかった。
ふわふわ女の子ちっくに見られたくなかった。

でもよく考えたら、今はもう違うね。
女らしくていいや、優しく甘い見た目でも、それも全然困らない。
・・・いや、20代の頃から、本当はそれでも良かったはずなのに、私は気がつけなかっただけ。


しばらく、優しい感じで行きます。
自分の地になるかどうかはわからないけど、「優しい妻」「優しいお母さん」になりたいもん。


職場でも、心なしか、男性陣が優しいです。
こっちの方が特だったのになーばかだな私、気が付くのがちょっと遅かった。

2012年3月28日 (水)

ママにも種類があって・・・

世の中、人をカテゴライズする言葉は山ほどあって、
今私が生きている年代的・性別的・地域的・職業的日常の中でよく使われるものは
【未婚か既婚か】
既婚なら→【持ち家か、借家か】
既婚なら→【子持ちか、そうでないか】
子持ちなら→【子供が男の子か、女の子か、何人いるか】
子持ちなら→【職業を持っているか、持っていないか】
職業を持っているなら→【フルタイムか、そうではないか】【専門的職業か、事務職か】
ってところか。


ママにもいろんな種類がある。
色々と思うことはあっても相手がどういうスタンスで生きているかを理解していない相手には腹を割った話をするのが難しい。タブーが多い。ある程度気を使って話さなきゃなんない。

なかでも専業主婦と職業持ち主婦の間には、なんとなく触れてはいけない話というのがある。
仲がいいとか悪いとかそういうことではなくて。
平日の日中の時間の過ごし方は180度違うし、朝起きる時間だって違うし、子供を寝かせる時間だって違う。
もっと言ってしまえば、きっと旦那様のお給料が違ったり、世帯収入が違ったりする。
専業主婦の子供は保育園には通わないし、職業持ち主婦の子供は平日の昼間に母親と過ごすことは出来ない。
母親の作ったものではないものを一日に1回食べて育つのが職業持ち主婦の子供だし、朝起きても時間に急かされることがないのが専業主婦の子供だ。

「だからなに?違いがあって当たり前でしょう、私とあなたの選んだ道が違うんだから子供の毎日だって違って当たり前じゃない、だれが良し悪しを決めるの?」
と心から思ってる人はきっと少ないんだろう。

母親なら、子供が一番・・・それはきっとみんな同じ。
だからこそ、自分と違う生き方をしている人のことが気になるし、自分がベストな道を選んでると信じたい。
でも自分の選んだ道に一抹の心苦しさや不安を持っているんだろう、みんな。

「小さいうちから預けられてかわいそう」という言葉に、職業持ちの母親が反応するのは、事実自分もそう感じたことがあるから。
だから言い返す言葉にとげが出る。
「小さいうちから預けられてかわいそう、なんてWM(ワーキングマザー)に言うなんて言語道断」って言う専業主婦の眦が釣りあがっているのは、自分も全くそう思わないわけではないから。

イキモノであるところの自分の子供を育てていく作業の責任は本当に重い。
だから自分を正当化しないとやってらんない。
そのへん、うまく流していきましょうよ、お母さんがた。
「小さいうちから預けられてかわいそう」って言われて、何で言い返さなきゃいけないの、と思う。
私一人が言い返したからって、その人の認識が改まるわけでもあるまいし。

自分の選んでいる道に迷いはない、なんて断言できる人はすごいよね。
私は日々迷っています。
仕事をしながら子育てをする道を選んではいるけれど、専業主婦への憧れだってある。
もちろん職業を持っていることへの誇りだってあるけどね。
でも専業主婦でいられる(ぶっちゃけ)経済面での安定性には羨望する。


立場が違っても、気があって大好きになって、仲のいい友人になれることだってある。
でもそれはとっても稀なことだからその関係を大切にしたい。
その相手が、子育てに関しては「3歳までは母親と過ごすべきだ」と固く信じていたとしたって、私はなにも構わないんだ。

何が言いたいんだか相変わらずよくわかんない感じだけどいいや。
これは私の日記帳みたいなもんだから。


それから、私、ワーキングマザーという言葉が嫌い。
きっとこの言葉、働いている母親が考えたネーミング。
兼業主婦って言う言葉が嫌いだったんだろうなぁ。

2012年2月23日 (木)

エスカレートする

電車を降りて歩き出して、エスカレーターに乗ったら、横をすり抜けて行った小学生五年生くらいの男の子が目の前でバッタリ転んだ。
すぐに起き上がって、走って登って行ったけど、エスカレーターを降りたところでうずくまって、スネを押さえて痛がっているので、「大丈夫?」と声を掛けた。
その声、「だーいじょおぶー?」と尋ねた自分の声が、あんまりにも本気で心配そうで、もっともっと小さい子に言うように柔らかく優しげで、自分でギョッとした。

2012年2月 9日 (木)

白菜消費

味噌
みりん
バター

を沸かして、細くきった白菜と、豚バラ。

ヨガ復活(予定)

先々週、母が習っているフラダンスのコンサートに行ってきました。
あのマサコ(母)がフラダンスなんて・・・くくく、と思っていたけど、
なんだかんだいって、もう2年近く続いてるみたい。

それでコンサート行ってみて感動した(笑)
踊るって、下手でも上手でも、いいもんだ。
彼女の中の何かが開放されているのがわかった。


で、
習い事好きな親子ですから。
私も当然またぞろ何かを始めたくなるわけで。

そう、妊娠と同時にお休みしていた、出産してからずっとやりたかったヨガ。
会社帰りにスタジオへ寄るのは今の生活では無理だから
(田舎町だから無理だよなぁ、でもだめもとで)近所でないかなぁと探し始めてみたら。
あるじゃん?ホットヨガも2つもスタジオができていた。
2年のブランクって、ご近所の事情さえも変わってくるくらいの年月だったらしいね。

そうはいっても平日の夜は自由にならないし、
週末のお休みは少ないし、なかなか通えないとは思うけど
とりあえず来週平日の代休DAYを、ホットヨガ復活DAYとすることにする。
るるる。

2012年1月25日 (水)

いやだいやだ


息子1歳7ヶ月。
いやいや期らしきものがすこしずつ始まってきた様子。
気に入らないことがあると、こんな風に床に突っ伏して泣きまねをする。
なんていう頭の使い方を学んでしまったのだ。
誰の真似なんだ。


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でまぁ、そんなに余分な気力体力があるのなら、もう少し違う使い道はないものかと模索し始めたのが、去年の秋のこと。
初心者母さんは、とりあえずグレン・ドーマンの本を4冊読んで、ドッツなるものを始めてみました。

はじめたばっかりだから、まだ感想なんてないんだけど、始めるにあたって、また始めてからの私の考え方を記録しておこうと思います。

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早期教育や、英才教育にとても興味がある・・・とは全然言えない。
ただ、「知識を増やすことは楽しいことだ」という基本姿勢を持って欲しいとは思うのです。
そのために、親が、親にしか出来ないことを、今しか出来ないことを、するのには、ためらいはありません。

今しかできない、と判断したから、始めました。
親の人生の反省を活かすために子供が存在するわけではない、そんなことはわかってる。
それでも、「あそこで苦労しなければ、もっともっと楽しさに満ちた世界だっただろうに」と思うポイントは、
息子の人生においては改善したいと思うのです。

生まれたての、虫みたいな状態のイキモノを、人間の形(外側も中身も)にするのが
親の存在価値なのではないでしょうか。
その壮大で気の遠くなるような積み重ねの毎日には、
ある程度の指針というか、ガイドライン的なものがあって当然だと思います。
私は、息子に、健康な体と健康な好奇心を持った人間になって欲しい。
世の中に「知ることの出来る事柄」は無限にある(と思う)のだから
知ることを楽しいと感じる習慣くらいはつけてあげられたらいいなぁーって思います。


詰め込むだけの知識は、子供を締め付けるだけだ とか
子供はやりたくないかもしれないのに、やらせるのは親のエゴだ とか
親の思うとおりに子供を作り変えようとするなんて自己満足だ とか
そんなくだらない・低次元なことを言いたい人は、言えばいいと思います。

でまぁ何を始めたかというと、
「数は量である」ということを【数字という記号の概念を頭に入れてしまう前に】体得して欲しかったので、ドッツを。
それから、(天才的な例外はあるけれども一般的には)知識のないところに知性は育たないと思うので、最近ではビッツを、始めました。
結果?そんなもの、息子が大人になるまでわかりません。
でも今は、「ドッツやる?」「やんなーい」「ビッツやる?」「やる!」という程度には会話が成り立つようになったので、親子で楽しく遊んでいます。


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2011年12月12日 (月)

方向転換

転職活動を、しています。
そろそろ、この1~2週間で、今受けている会社の結果が出そうです。

正直なところ、今の仕事に対する未練は大いにある。
仕事の内容としては、ずーっとずっと続けていきたかった。
でも、まぁ、自分の一日は24時間しかないわけだし、
一週間は7日間と決まっているんだから、
優先順位をつけないわけにはいかないのです。

受かるかわかんないけどさっ。
最終選考の倍率は、4倍~5倍だそうです。

それでも、私が受かる可能性は、1/4~1/5ではなくて
あくまで 受かるか受からないかのどちらか、1/2なのですね。


受かったら、人生ちょっと変わります。
期待して待つ。

母ちゃん、がんばるよ(もう試験は全部終わっちゃったけどさ)

2011年12月 8日 (木)

あいた穴と同じ大きさのもの

「枯れ果てた涙」と題されたこの記事。
http://diamond.jp/articles/-/15205

お母さん、の多い私のtwitterのTLでは、「生き残った子供に『再婚してお前に弟が生まれたら』という気持ちがわからない」という意見があったのだけど。


大前提は、私にはこんなすさまじい被害にあった人の気持ちは絶対にわからないだろうということ。

その上で、思うこと。

なくしたものと同じような役割の、同じような大きさのものを切実に求める気持ちって、あるんじゃないかなぁ。
おそらく想像を絶するような凄惨なものを、このお父さんも、この息子さんも、見たんだろう。
いなくなったものを悼む気持ちは、まだ追いつかないのかもしれない。
でも、奥さん、お母さん、息子、弟が戻ってこないことだけは、納得できなくても信じざるを得ないんだろうと思う。
父子二人で踏ん張って踏ん張って頑張っているからこそ、新しい奥さん、新しいお母さんを求めているんじゃないだろうか。

私は、このお父さんが「新しい女房を探してくれよ!」と(子供の前で)言うことに違和感を感じない。
この息子さんだって、暖かくて生きている柔らかい【おかあさん】に抱きしめられたいんじゃないかって思うから。

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